当時は江戸川に堤防がなかったため、何度も洪水が起きていました。私の祖母から聞いた話では、地上まで溢れる川の水が引けるまで、船で過ごす事もあったそうです。
大正時代には、最初の堤防工事が大々的に行なわれ、宿屋を営んでいた先祖(2代目)も移転をしました。現在の住所(野田)に土地を購入し、移転をしたのですが、まだ事務所と言えるほどのものではなく、長屋のような場所でした。
そこで、現在の東運輸の基礎となる飯田運送という会社を立ち上げました。T型フォードという国内で一番利用されていた車を購入し、運送の仕事をはじめました。
野田という土地は非常に広く、商店などが発展していました。お店が多いので荷物の動きも多く、小売店から依頼を受け、問屋をぐるぐる回って荷物を運んでいました。飯田運送が今で言う便利屋のようにいつでもどこでも動いていました。なんといっても、頼んだその日に荷物が届くので、当時としては非常に新しく、お客様からもかなり喜ばれていたようです。
一時期、運送事業を中断していましたが、戦後の昭和26年(1951年)、私の父が事業を再開しました。そのときの会社の名前は東小型自動車運送、私は当時4歳でした。
このときに再び江戸川の河川工事が行なわれ、事務所も移転しました。それが、今東運輸グループの本社がある土地です。河川工事による移転で受け取ったお金を元手に、三菱自動車の車両を購入し、物流事業を再開しました。
小学校の児童がうちの会社や車両をよく目にし、覚えてしまうくらい有名でした。当時は他に仕事が少ないため、東小型自動車運送にはドンドン仕事が入ってきていましたので、地元の雇用を創出する役割も担っていたと思います。会社の方針として、「誰でもいいからウチに入ってきなさい。一人前になるまで鍛えてあげるから」という想いがありました。