東運輸グループの歩み

東運輸グループの140年にわたる創業からの歴史をご紹介します

相談役(前会長)が語る東運輸グループの歴史

相談役 飯田眞一

~人を大切にし、仕事への情熱を忘れず、そして”負けない”会社を目指して~

創業から140年にも及ぶ長い歴史を持つ東運輸グループ。

創業から現在にいたるまで、社員の皆さんと共に苦労や喜びを分かち合いながら、多くのことを学ぶことができました。

また、そのおかげで社員の皆さんと共に東運輸グループも大きく成長することができました。

相談役(前会長)自らが語る、現在にいたるまでの会社の歴史をぜひご覧いただき、東運輸グループの原点である「人を大切にし、情熱を持って仕事に取り組むその姿」を知っていただきたいと思います。

東運輸グループの創業(明治初期~大正初期)

東運輸グループの創業(明治初期~大正初期)
「東京両国通運会社川蒸気往盛栄真景之図」 明治時代
※画像引用元:物流博物館
http://www.lmuse.or.jp/event/tokuten-tuuunmaru1.html

東運輸の創業は明治5年(1872年)、私で5代目になります。

もともと先祖は岩槻藩の武士でしたが、明治時代に入ると、その時代の移り変わりと共に、武士としての役目を終えました。
当時は江戸川に堤防も無く、この地域一帯に江戸川がずっと続いていました。江戸の末期は関宿(川の要所)として、5万人の人口(当時の日本の総人口が3,000万人)と、非常に活気のある場所でした。川には高瀬舟の往来もあり、かなり物の行き来がありました。

そこで、先祖が新しくはじめた仕事が宿屋です。人や物の往来には陸路だけでなく川も使われており、当時の江戸川は人も物も動いていましたので、川のそばは仕事や旅行で来た人にあふれていました。なので宿屋をはじめました。
また、物の行き来が多く、荷物がたくさん出るので保管する仕事も請けていました。それが、現在まで続く東運輸グループの始まりです。

その後、日本の経済も発展していき、蒸気船(内国通運)が出るようになりました。当時宿屋を構えていた土地がその蒸気船の発着所となったので、荷物を預かる仕事と、蒸気宿を営んでいました。
ちなみに、当時は新聞というものが無かったので、蒸気船に乗ってくる人や外国人から、国内外の情報を仕入れていました。

地域の商業活動を支える運送会社へ(大正初期~昭和中期)

地域の商業活動を支える運送会社へ(大正初期~昭和中期)

当時は江戸川に堤防がなかったため、何度も洪水が起きていました。私の祖母から聞いた話では、地上まで溢れる川の水が引けるまで、船で過ごす事もあったそうです。

大正時代には、最初の堤防工事が大々的に行なわれ、宿屋を営んでいた先祖(2代目)も移転をしました。現在の住所(野田)に土地を購入し、移転をしたのですが、まだ事務所と言えるほどのものではなく、長屋のような場所でした。
そこで、現在の東運輸の基礎となる飯田運送という会社を立ち上げました。T型フォードという国内で一番利用されていた車を購入し、運送の仕事をはじめました。

野田という土地は非常に広く、商店などが発展していました。お店が多いので荷物の動きも多く、小売店から依頼を受け、問屋をぐるぐる回って荷物を運んでいました。飯田運送が今で言う便利屋のようにいつでもどこでも動いていました。なんといっても、頼んだその日に荷物が届くので、当時としては非常に新しく、お客様からもかなり喜ばれていたようです。

一時期、運送事業を中断していましたが、戦後の昭和26年(1951年)、私の父が事業を再開しました。そのときの会社の名前は東小型自動車運送、私は当時4歳でした。
このときに再び江戸川の河川工事が行なわれ、事務所も移転しました。それが、今東運輸グループの本社がある土地です。河川工事による移転で受け取ったお金を元手に、三菱自動車の車両を購入し、物流事業を再開しました。

小学校の児童がうちの会社や車両をよく目にし、覚えてしまうくらい有名でした。当時は他に仕事が少ないため、東小型自動車運送にはドンドン仕事が入ってきていましたので、地元の雇用を創出する役割も担っていたと思います。会社の方針として、「誰でもいいからウチに入ってきなさい。一人前になるまで鍛えてあげるから」という想いがありました。

「人」を大切にする企業へ(昭和中期~昭和後期)

「人」を大切にする企業へ(昭和中期~昭和後期)

私が22歳(大学4年)のとき、父(4代目)が亡くなりました。
この頃の東小型自動車運送は、みな血の気が多い人ばかりで喧嘩も絶えませんでした。
そのため、私が会社を引き継いでからは、もっと家族のような温かみのある会社、そして組織としてもしっかりとした会社にしようという思いが第一にありました。

それまでは就業規則がない状況でしたので、先輩などに相談し、まずは就業規則、給与規定を作ることにしました。当時は10数人の体制であり、佐川急便などが急成長し、私たちの仕事がドンドン無くなっていくという有様でした。

私が20代後半の頃は、日本の経済成長よりも緩やかなスピードで、本当にギリギリ会社も成長している状況でした。私自身、学生時代から長期休みの間は実家のトラックドライバーとして働いていましたが、会社・社員のマネジメントについては何も学んでおらず、会社に入ってからも非常に苦労していました。その頃の経験から、今でも会社や組織というものは「最後は人だ」と感じています。

売上もあまり伸びず、この先どうなるかと思っていた矢先に、このままではいけないと将来に対する熱い想いを持つようになりました。「家族のためにも、従業員のためにも、絶対に何とかして乗り越えてやる」という意志が非常に強かったのですね。当時29歳のことです。

大手物流企業との取引開始と東運輸グループの躍進(昭和後期~現在)

大手物流企業との取引開始と東運輸グループの躍進(昭和後期~現在)

そのために考えたことが、他の運送会社と同じではダメ、うちが得意とする運送スタイルを持って、大企業と業務提携すべきだということです。

友人がとある大手の物流会社の支店におり、ちょうど業務提携となる会社を探していたところでした。会社のパンフレットを持っていき、大手物流会社とお付き合いすることができました。それが、現在まで続く西濃運輸とのお付き合いの始まりです。

しかし、社員はこの新しい動きに拒否反応を示し、なかなか協力を得ることができませんでした。開始当時はわずかな物量からスタートし、西濃運輸の担当者と一緒に配送していました。そこからドンドン仕事を増やし、柏や岩槻といった現在営業所を置くエリアまで広げることができました。

最近では、西濃運輸の代理店として日本一に表彰されたこともあります。

西濃運輸と共にやってこられたことは非常に幸運であり、本当にありがたいと感じています。

今後も西濃運輸との取引を大事にし、自社の業務クオリティーをしっかり評価して頂けるようにやっていきます。

そして新たなステージへ

そして新たなステージへ

仕事をする中で一番大切なことは、「真摯に取り組んでいるか」、そして「基本をおろそかにしていないか」、ということだと思います。

東運輸グループも私で5代目となりますが、140年という長い歴史の中で、会社が一貫して持ち続けていることは「会社が人を育て、人が会社を支える」ことです。

どんなに仕事が出来なくても、それは会社に入ってからいくらでも周りが鍛えてくれます。

大切なことは仕事との向き合いかた、人として、社会人としての基本(挨拶・約束事を守る・家族を大切にするなど)がしっかりできているかです。

そういった社員を応援し、社員のこうなりたいという想いを実現できる会社、社員全員が幸せになれる会社になっていくよう、見守っていきたいと思います。

 

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